第3段階 その5

 中間点も過ぎ、これからは追い込みに入る。しかし自分はまだ「卵」のままだ。何とかしてONをとらなければならない。

 会社の先輩で、ゼミの先輩でもある人にアポイントを取った。この人とは柏で会った。グループの女性アシスタントのサポート付きだ。その日は軽くジャブということで、セミナーの話はほとんどせずに飲んだ。
 先輩はアシスタントを見て、「おまえもこういう女友達ができて安心したよ」と一言。ちょっと罪悪感にさいなまれる。先輩とはもう一度会う約束をした。

 約束どおり再び先輩と会う。今度はアシスタントだけではなく、他の卒業生も応援に加わってもらった。周囲をがっちり固められて、先輩は明らかにとまどっていた。
 今度は勝負とばかりにセミナーの話を持ちかける。先輩のとまどいはさらに大きい。どんな話をしたかは覚えていない。でも、衝撃的に覚えていることが一つある。
 アシスタントが泣き出したのだ。「彼があんなに真剣に言っているのに、どうしてわかってあげないの・・・」。僕は、生まれてこの方、人のためにこんなふうに涙を流したことがない。それだけに彼女の涙は衝撃的だった。僕は一生この光景を忘れることはないだろう。

 結局、先輩からもONを取ることはできなかった。

 翌日、私に電話が来た。電話の主は、昨日先輩のエンロールにサポートとして出てくれた女性(泣き出したアシスタントとは別人)からだった。「あなた、本気でやっているのかなって思った」。教えて欲しい、どこからが本気というのか・・・。

 このころから、エンロールしたくない私が確実に頭角を現してきた。ある暑い日、部屋で横になっていた。エンロールのために動かなければならないのは頭でわかっていた。しかし体が動かない。深層心理が、私の体を動けなくしていた。「もう嫌だ」そんなサインが頭から発せられるのがわかった。

 私は、どうしてエンロールに成功していないか、もう一度考えてみた。
 おそらくそれは、「過去の清算」ができていないからだろうという結論になった。つまり、ベーシックでの実習「一番辛かったこと」で採りあげなかった、自分でトラウマと思っている高校生活のシカト体験、これを誰にも話さず受け止めてもらっていないからだろうと思った。
 ベーシックでのトレーナーでもあるS氏なら、それを聞いて受け止めてくれるだろう。私はオフィスに向かった。

 私は涙ながらにそのことを話した。しかし、S氏の反応は予想を裏切るものだった。不機嫌そうな顔をして、「もうハイステージやめるか?」と言い放った。
 この時点で私は、セミナーに失望したと言っていい。一応、「生まれ変わる」と言ってはみたものの、もう自分の中の、セミナーに対する情熱は消えつつあった、それでも苦楽をともにした仲間だけは裏切れない。仲間のために、最後まで続けることだけはしようと思った。

 私は、ついに「どうしようもなくなったときに」とあえてエンロールしなかった身内に手を伸ばさざるを得なくなった。まず神奈川にいるいとこにエンロールした。いろいろと話したが、結局ダメだった。「トイレに行く」と言って席を立ち、個室で泣いた。この前のアシスタントも、こんな気持ちで泣いていたのだろうか。久しぶりに私が来たというので、おじさんおばさんが豪華な料理で歓待してくれて、なんだかものすごく申し訳ない気分になった。

 次に父にエンロールした。父はこのようなセミナーに否定的な意見を持っているのだが、山は高い方がいい、と挑むことにした。
 父はいつも晩酌を欠かさない。「今晩はお酒を飲まないで聞いてほしい」と明言したにもかかわらず、話をする前に少し飲んでいた。今になって思えば、自分の息子がこんな状態になってしまい、しらふで聞くのは堪えがたかったのかも知れない。

 父との話はやはり平行線だった。全然かみ合わなかった。僕も知りうる限りのボキャブラリーと論理を組み立て、誠心誠意話したつもりだが、ダメだった。

 あきらめて打ちひしがれている私に、母が、「私が出てあげる」。
 「いいの?」
 「あんたが一生懸命話をしているのを見て、私が受けてあげなきゃっていう気になった」
 「・・・ありがとう・・・」
 こうして私の最初のONは、意外な形で迎える形となった。