おわりに

 4月から8月の約4ヶ月半の間、私はセミナー世界の住人だった。いずれも一つのステージが終わった直後に次のステージに参加しているのだから、第3段階まで行った者としては最短だろう。

 本文の終わりで少し触れたが、実は卒業後も、しばらくはハイステージの卒業式や、ミーティングにちょくちょく顔を出していた。自分がやってきたことの確認をしたかったのかも知れない。
 前書きで、私はセミナーを否定も肯定もしないと宣言した。セミナーについてどう判断するかは、読者の皆さんにゆだねたいと思うとも言った。なんだかゲタを預けるみたいで無責任と思われるかも知れないが、このような「人間の心」を扱うものについては特に、画一的な判断をしてはならないと思う。

 ベーシック・ミドル各ステージについては客観性を保てたかなと思っている。ただこれも前書きで宣言したとおり、第3段階については自分の日常生活が主な活動の場なので、多分に主観的、それもかなり悲惨な体験の文章になってしまった。それも自分にとっては辛い体験が多かったので、読者の方々にはセミナーについて否定的に感じる方も多いかも知れない。「否定も肯定もしないといいながら、これでは否定しているのと同じでは?」と言われる方もいるかと思うが、それはそれで仕方のないことだ。これが私のハイステージなんだから。
 自己啓発セミナーについて克明に書かれた本に「洗脳体験」(宝島社)がある。私も読んだ。第1段階・第2段階については、私の文章よりも詳しいのではないかとも思う。ただ、この著者が第3段階のエンロールを経験したとしたらどうなっていただろうか。セミナーに対する印象が、多少なりとも違っていたことは想像に難くない。

 私はハイステージ期間中、必死になってエンロールをしていたが、同時にこんなことも思っていた。「これはセミナーにとって最高の自己増殖システムだ」と。
 ハイステージ参加者は、セミナーの受講者拡大のために動いているのは間違いない。しかし、「受講」している立場だから、セミナー側からは金銭的に一銭の報酬も与えられない。つまり営業経費がゼロということだ。それでベーシックステージに参加する者からは、一人7万円という比較的高額な受講料を取る。ミドルステージに参加した場合は、さらに15万だ。必要経費を差し引いても、かなりの利益になることは間違いないだろう。
 それでも一つ断っておきたいことは、自分と違って、楽しいハイステージを送った人もいる。そういう人がこのような文章を書いたら、また違ったな印象を持つだろうということだ。もしそういう文章が何らかの形で存在するのであれば、私の文章と読み比べてみてほしいと思う。

 現在、私はセミナーとはまったく無縁の生活を送っている。セミナーから離れた理由は2つあると思っている。
 一つは経過した時間。この10年間に、岐阜への転勤、そこで苦労を味わい、そして帰任を経験した。また、柏レイソルを中心としたサッカーという自分が新たに情熱を傾けることができるものも見つけることができた。その関係で、当時のパソコン通信の普及により、セミナー以外の世界で仲間を得ることができた。そうした日常生活での様々な経験が、セミナーという特殊な生活から私を切り離していったのではないか、そんなふうに思っている。

 もう一つは、最後まで読んでいただいた方にはおわかりかと思う。ハイステージに対する疑問だ。
 私の中では、ベーシック・ミドルステージでの心理体験とハイステージのエンロールメントが、どうしても自分の中で結びつかないのだ。確かにベーシック・ミドルには感動させるものや、深く考えさせられるもの、ハッと気づかせるものが随所にあった。しかし、ハイステージではどうだろう。なんだかんだ言っても、結局は勧誘した人数がすべてではないか。
 それもあって、私はこの「エンロール」を二度としたくないということは、重ねて申し上げたい。勧誘することに何の意義があるのか、見つけることができないのだ。

 この文章も、そういう特殊な世界から帰ってきた人間としての視点にできるだけ徹するように、言い換えれば俯瞰するよう努めたつもりだ。ハイステージを除いては。

 ちなみに、一度ハイステージを終えた卒業生に対しては、セミナーはほとんど興味を示さない。なぜなら、毎月新しいハイステージが始まるので、そちらの「エンローラー」のケアをしていた方が、遙かに営業的に効率がいいからだ。

 最後に、17編におよぶ長文を読んでくださった方に感謝申し上げたい。ありがとうございました。